「no! nukes」の向こうにある気持ち…

意思表示ステッカーをつくったときの話です。

どいかやさんにラフをお願いしたとき
どういうメッセージを入れるか話し合い
いくつかアイデアがでました。
意思表示のステッカーだから
できるだけ多くの人にわかる言葉ということで
シンプルに「no nukes」になりました。

絵本作家どいかやさんと、
何かしましょうという話になったのは
まだ原発事故のおこる前、
映画「ホピの予言」を一緒に見たときだったと思います。

原発核兵器に使われるウランは
先住民の土地・聖地から採掘されたものが多いのです。
日本に落とされた原爆に使われたウランは
ネイティブインディアンの部族・ホピの土地から掘られたもの。
今回の原発事故の現場にあったものの一部も、
オーストラリアの先住民の土地から採掘されたものだと聞きました。

ホピの部族では昔から
土地のなかに眠るウランを掘り返してはならないという予言が
絵の形で言い伝えられていました。
(文字のない文化でしたから、絵や言葉なのです)
でも、掘り返されてしまうことも予想して
さらにそのさきのことも、ホピの予言は語っていました。

映画で映し出された
予想以上に雑なウラン採掘現場、
土地を汚され、病んでいくホピの人たちを見て
原発核兵器と、そのために採掘される現場との構図は
この世界の大きなシステムの象徴なのだと
すとんと胸に落ちた日でした。

大地の深いところで眠りながら
きっと、なんらかのかたちで
地球のバランスを保っていたに違いないウラン。
その存在に対する、尊敬や畏れを忘れて
権力とお金のために使ってしまった私たち。
これはウランには限らないことなんだと思います。

勝手にほじくりかえされ、
途方もない欲望のために使われ
最後には人々に忌み嫌われ
ウランもびっくりしているにちがいない。
いや、とても悲しみ、怒っているかもしれない。
ナウシカの物語のように。

だから、
ノー・ニュークスの向こう側にある気持ちは
リスペクト・ウラン。
(こんな言葉あるかな ? )
やめたいのは原子力の利用であり
そして、眠っていたウランへの、自然への
畏れと敬意をもういちど取りもどすことです。

私たちはモンゴロイドでありながら
多分いちばん最初に
もっとも西洋化・資本主義化された人々だと思います。
なぜ日本で、原爆投下、原発事故という
ウランをめぐる重要なトピックである事象が起きたのか。
それは、偶然かもしれないけれど
偶然ではない気がする。
そんなことを、映画を見て考えました。

どいかやさんは、自然や自然に近い生き方を
尊敬している絵本作家さん。
絵本はその気持ちにあふれたものです。
かやさんの動物保護の活動や
環境へのメッセージに影響をうたけファンの方も
多いと思います。

映画をみてから随分ときがたってしまいましたが
今年のはじめ、私は親の介護を終えて、少し余裕ができ
同じ気持ちをもつ人と、いっしょになって
こつこつ続けられる小さな活動をはじめようと思いました。
そして、どいかやさん、
ブックギャラリーポポタムの大林さん、
ウレシカのカマタさんとの協力で
ちいさな意思表示プロジェクトはスタートしました。

小さな意思表示ステッカーは、もうすぐ3刷になります。
2000枚以上が旅立っていきました。
たくさんの方々が、個人で、お店で
この活動に参加してくださったおかげです。

そしていま、この瞬間、
大飯では、多くの人が再稼働反対の意思表示をしています。
福島の事故はまったく収束しておらず
高線量地域でたくさんの人たちが暮らし続けています。

原子力をめぐる大きなシステムとの闘いは
長丁場になると思います。
その覚悟と、想いを忘れないように
ノー ニュークスの向こう側にある気持ちを
しるしておきたいと思います。